「茶粥の記」(矢田世津子)

古き時代の良き秋田美人の姿がそこにあります

「茶粥の記」(矢田世津子)
(「日本文学100年の名作第3巻」)
 新潮社

「茶粥の記」(矢田世津子)
(「百年文庫049 膳」)ポプラ社

「茶粥の記」(矢田世津子)
(「神楽坂/茶粥の記」)講談社文芸文庫

亡くなった良人は、
雑誌に寄稿するほどの
食通として知られている。
同僚たちは良人と
美食談義をしては、
空想の中でまだ知らぬ味わいに
舌鼓を打っている。
しかし、良人は実はその多くを、
実際に食したことは
なかったのだった…。

昨日取り上げた
矢田津世子の短篇作品です。
「万年青」同様、
ほのぼのとした明るさと
優しさに満ちた作品です。
でも私は、本作品の随所に
「哀しみ」を感じてしまいます。

一つは空想で満足する良人と、
その姿に幸せを感じている
清子の優しさに対してです。
清子の良人の味覚談は
実に堂に入っています。
やや長い引用になりますが、
「牡蠣は何んといっても
 鳥取の夏牡蠣ですがね。
 こっちでは夏は
 禁物にされているが、
 どうしてどうして
 鳥取の夏牡蠣ときちゃあ堪らない。
 シマ牡蠣ともいいますがね、
 ごく深い海の底の
 岩にくっ着いている。
 海女が獲ってきたやつを
 その場で金槌を振るって

 殻をわずか叩き割り、
 刃物を入れて身を出すんだが、
 こいつが凄く大きい。
 そうですね、
 この手のひらぐらいは
 十分にありますよ。
 身が大きく厚いところへもってきて
 実は色艶がいい。
 こいつの黒いヘラヘラを取ってね、
 塩水でよく洗って

 酢でガブリとやるんです。
 旨い。実に旨い。一と口で?
 いやあ、とても一と口でなんか
 食えやしませんよ…
」。

本作品が発表されたのは1941年、
太平洋戦争開戦の年です。
すでに日中戦争が泥沼化し、
物資や食糧が不足しはじめた時期です。
本作品の明るさは、
ひたひたと忍び寄る戦争の足音への
敏感な反応の現れなのかも知れません。

もう一つは自身の幸せを
ついつい後回しにしてしまう
清子の健気さに対してです。
清子の自慢は福耳。しかし、
「嫁いでもう十四年、(中略)、
 この家にはさっぱり
 福運らしいものが訪れない」

福が訪れるどころか良人と死に別れる。
姑を見捨てるわけにもいかないため、
再婚すらままならない。
結婚運の薄いところは
作者矢田自身と
重なるところがあります。

「鰹のたたき」のことが書かれてある、
良人の絶筆となった
エッセイを読んだ清子。
「食べもしないくせに
 嘘ばっかり書いていると
 肚立たしい気持になったが、
 しかし不思議に良人の文章から
 御馳走が抜け出して
 次ぎつぎと眼前に並び、
 今にも手を出したい衝動に、
 清子はつばが出てきて
 仕方がなかった。」

温かいけれどもどこか哀しい。
哀しいけれどもなぜか温かい。
古き時代の良き秋田美人の姿が
そこにあります。

(2020.1.7)

【青空文庫】
「茶粥の記」(矢田津世子)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA